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マンダリン・キッチン 2009/03/27&05/01

ロンドンで一番好きな中華レストランは、地下鉄クィーンズウェイ駅のすぐ前にあるマンダリン・キッチンである。1991年から行っているが、殆ど変わっていないと思う。


昼はそれほど混んでいないが、夜は予約しないと入り口で長く待たされる。


"Lobster with Noodle Bed"が名物。私はこれを食べるために行く。このメニューの味付けには、いくつかの種類があるが、お店のお勧めは「ネギと生姜」である。

マニラゴルフ 2002-2006

2002年から2006年まで、マニラゴルフのメンバーだった。マニラゴルフはマカティの高級住宅地フォルベスパークに隣接したゴルフ場で、メンバーが少なく(500人程度)、予約という制度は無かった。ワンフライト・ワンメンバーで、いつ行っても殆ど待たずにプレイ出来た。

最終18番ホール(パー5)の横には日本大使公邸があり、ティーショットを右にプッシュアウトすると打ち込むおそれがあった。

当時住んでいたオークウッドから車で5分程度の距離だった。ゴルフは決してうまくないが、何回もプレイしたので、各ホール最低1回はパーを取る事が出来た。 最後にパーを取ったのは17番、距離のあるミドルホールだった。



さすがにコースは短めだったが、本格的なパー71の18ホールのコースだった。パー3が5ホールあった。2006年から長期間かけて全面改修したが、改修後の状況は知らない。

右ドッグレッグの13番では、その向こうに見える高層コンプレックス・ロックウェルを目標にティーショットした。

16番は長いパー3で、グリーンの直前まで池があった。よく池にボールを落とした。



コースの東側はフォート・ボニファシオ。基地の跡地が再開発されて、コースに面して高層コンドミニアムが林立していた。

8番ホールのフェアウェイはそれらの高層コンドミニアムに面していた。ティーショットを右にプッシュアウトして、グラスウォールに当てた事がある。(幸い割れなかった。)



これは9番ホールのフェアウェイ上からグリーン方向を見たところ。グリーンの向こうがクラブハウスである。                                                    
このホールはティーグラウンドからフェアウェイが上りになっており、第2打地点ではグリーンが見えないので、クラブハウスの屋根を目印に、グリーン方向に第2打を打った。                   
                       
クラブハウスで供される「ゴルファーズ・ブレックファスト」が好きだった。フィリピンの典型的な朝食メニューの一つで、目玉焼きとコーンビーフに、ガーリック・ライスが添えられたものである。

コンコース 2001-2002

2001年から2002年にかけて、シンガポールのサービスアパートメント、コンコースに住んでいた。

コンコースはオフィスビル、ショッピングモールも含むコンプレックスで、高いタワーにはオフィスが入っており、低層の1~2階はショッピングモールになっていた。ショッピングモールはごく小規模なもので、食料品・日用品の買物には不適だった。低層の建物の3階以上がサービスアパートメントだった。

ラッフルズホテルの前からビーチロードを北東に進んだ右側にあり、ビーチロードの反対側はアラブ人街だった。


アラブ人街の食堂で、よくロッティープラッターを食べた。薄いパンケーキのようなロッティーを千切って、カレーソースに浸して食べるのだが、インドではそのようなものを見かけた事は無い。東南アジアのインド料理という趣である。


この特徴あるオフィス棟は、ニコル・ハイウェイから良く見える。その左に低層棟がある。


これが低層棟の住居部分。ビーチロード側から見たところ。欧米人の入居者が多く、日本人は殆ど見なかった。

コニストンとウィンダミア 2009/05/05

2回目の湖水地方訪問。前回は1993年だったので、16年ぶりである。前回はイースターの時期で、今回同様、小雨模様だった。


ウィンダミア湖に面したボウネスに宿泊し、そこから車で、ウィンダミア湖とコニストン湖の周りを、大きく一周した。



これがボウネスの船着場。寒い上に小雨模様で、閑散としている。アーサー・ランサムの物語のなかでは、子供たちは「リオ」と呼んでいる。夏休みの時期は賑わいを見せるのだろう。




コニストン湖の南端。





物語の中で子供たちがキャンプする「ヤマネコ島」は、コニストン湖にあるこの島である。(正確には、ウィンダミアにあるもう一つの島もモデルになっているらしい。)





これはコニストン村の北にあるユースホステル「ハリハウ」。ウォーカー家の子供たちが夏休みを過ごした農場の名前は、ここから取ったもの。(その当時は個人の住宅で、ユースホステルではなかったようだ。)ただし、子供たちが過ごした農場のモデルは別の名前で、コニストン湖の東岸にある。

オークウッドとグロリエッタ 2002-2006

2002年から2006年まで、フィリピン・マニラ首都圏のマカティ市にあるサービスアパートメント、オークウッドに住んでいた。オークウッドは米国に本社があるサービスアパートメントの世界チェーンで、六本木の防衛庁跡に建設された「東京ミッドタウン」にも入っている。

オークウッドはサービスアパートメントのマネジメントを受託する会社で、サービスアパートメントのオーナーはフィリピンのスペイン系財閥「アヤラ」である。現在ではマネジメントは、シンガポール系のアスコットに替わっている。

マカティ市はアヤラ財閥が1950年代から開発した、マニラ首都圏の一地域で、周到に計算された開発計画により、現在ではフィリピンのビジネスセンターになっている。その中心部に位置する巨大ショッピングモール「グロリエッタ」もアヤラの所有であり、それに隣接する形でオークウッドがあった。



この写真のエリアは、クーデターの度に反乱軍に占拠されてきた。2003年には、クーデター軍がオークウッドを占拠した。1990年代には、反乱軍はインターコンチネンタルに本部を設置し、パシフィックプラザとその並びのコンドミニアムでは、銃弾が飛び交った事もあった。

パシフィックプラザには、元大統領夫人のイメルダ・マルコスがワンフロアを使って住んでいる。

この巨大なショッピングモール「グロリエッタ」には、3軒のデパートが連結されている。一つは、小さな靴屋から身を起こしフィリピン最大の小売チェーンを作った華僑ヘンリー・シーの率いるシューマート。もう一つは、フィリピンの高級百貨店ルスタン。最後は、田舎デパートの趣のあるランドマーク。このランドマークを通り抜けると、広い道路を跨ぐ屋根付きの歩道橋が、更に別の巨大ショッピングモール「グリーンベルト」に繋がっている。




この二つのタワーがオークウッド。真ん中の部分は6階建てで、その6階部分がオークウッドのレセプションになっている。1階にはグロリエッタの4番エントランスがあり、グロリエッタ4と呼ばれる。

真ん中部分の1階から5階までは、ショッピングモールの一部を構成しており、商店、レストラン、映画館などが入っている。ここでよく映画を見た。映画館はシネマ・コンプレックス形式になっていて、7本の映画を常時上映していた。                                                                 
                                                 
グロリエッタの中央部分にある広場。いろいろな催し物が開催される事も多かった。ロペス財閥が発電所跡地に作ったコンプレックス「ロックウェル」や、後から開発された「グリーンベルト」などに比べると、グロリエッタは庶民的な雰囲気であった。

レーニン

モスクワの街中には、いまでもたくさんのレーニン像がある。レーニンは多くのロシア人に、建国の父として愛されているようだ。レーニン廟は、衛兵交代こそ無くなったものの、未だに中には防腐処理を施された遺体が安置されている。

これが赤の広場にあるレーニン廟。後ろに見えるのはクレムリン。中ほどにロシア文字でЛЕНИНと書かれているのを、アルファベットに置き換えるとLENINになる。


レーニンが実際に最高権力を持っていた期間は、ボリシェビキが権力奪取した1917年11月8日から、最初の発作(おそらく脳梗塞)で倒れた1922年5月と、比較的短い。それが、その後批判に晒されにくかった理由かもしれない。



ガーデンリングロードの南西、ズボフスカヤ広場にあるレーニン像。




1905年通り沿いの名も無い公園にあるレーニン像。花が供えられていた。





クラスノプレスネンスカヤ通り沿いの公園にあるレーニン像。これも名も無い公園。いったいモスクワ市内にはいくつのレーニン像があるのだろうか。


オベロイホテル 1999-2001

ニューデリーの中心部にある高級ホテル、オベロイのスイート・ルームを事務所にしていた。

オベロイは、グループで持っている農場で採れた肉・野菜・卵・乳製品などの食料品をレストランで供し、水は通常の水道水をホテル敷地内にある浄水場できれいしてからホテル内に供給するなど、インドの中に別世界を作っていた。




写真左側に見えるのは、デリーゴルフクラブ。真ん中の鮮やかな水色はオベロイホテルのプール。このプールでよく泳いだ。


この写真の正面中央の噴水の先が、デリーゴルフクラブ。プールの右側には、会員制クラブ「ベルベデーレ」がある。ここのステーキは大変おいしかった。ワインも高級なものが揃っていた。クリムトの絵などを展示しているウィーンのベルベデーレ宮殿と、何か関係があるのだろうか。

このあたりはニューデリーでも一等地なのだが、ホテルを一歩出ると、野良牛がいた。今は市政府が野良牛を郊外に運んだので、中心部では見られなくなった。

マンマ・ミーア! 2009/03/27

最近メリル・ストリープ主演の映画化で話題になった「マンマ・ミーア!」を、ロンドンのプリンス・オブ・ウェールズ劇場で見た。
このミュージカルは、1999年4月にロンドンで初演されたもの。


主人公(娘)のソフィーを、代役のCharlie Bullが演じていたが、可愛くて良かった。

ザッハートルテ 2008/11/02

有名なチョコレートケーキ「ザッハー・トルテ」は、ウィーンのホテル・ザッハーの菓子職人フランツ・ザッハーが作ったもの。


ちょっとわかりにくい写真だが、これがホテル・ザッハー。右端中ほどにある、突き出した横棒に下げられた丸い看板が、ザッハー・トルテの看板。



反対側から同じ看板を見る。



看板の下にあるショーウィンドウ。ここで販売されると同時に、ホテル・ザッハーのカフェでも供される。

本家のザッハー・トルテは、中にアンズのジャムが挟まっていて、大変甘い。砂糖を入れないホイップクリームと一緒に食べる。


ザッハー・ホテルの向かい側にはオペラ座がある。

ヴァンドーム広場 2009/02/22

ヴァンドーム広場はパリで最も好きな場所の一つである。1987年に初めてパリに来た時、オードリー・ヘップバーン とピーター・オトゥールの主演した映画「おしゃれ泥棒」で見たままのヴァンドーム広場に立って、感激した。映画ではこの広場をピーター・オトゥールが、ジャガーEタイプで走っていた。


映画の中でオードリー・ヘップバーンが宿泊していたホテル・リッツが、ヴァンドーム広場に面している。

スターリン建築 2009/04/11

モスクワも、ようやく気温が10度を超えるようになり、サマータイムで日も長くなって、春が訪れた。



文化人アパート。ロシア映画"Moscow doesn't believe in tears"の舞台になった、スターリン様式の建物。映画の主人公エカテリーナ(ヴェーラ・アレントワ)がかわいい。映画の中では20年の時間が流れるのだが、主人公に違和感が無いのが不思議である。



旧アルバート通りの入り口近くにある、外務省。青空が綺麗だ。

ホワイトハウスとウクライナホテル 2009/03/15

散歩の途中でモスクワ川の対岸から撮影したホワイトハウス。 1991年8月には、この前に保守派の戦車が押し寄せ、エリツィンがその前に立ちはだかって演説をした。1993年10月、今度は保守派がここに立てこもり、エリツィンはモスクワ川にかかる新アルバート橋から戦車で砲撃した。

ホワイトハウスの右に少し頭を出しているスターリン様式の建物は、文化人アパート。

今年は例年に比べて暖かく、川も凍っていない。


ホワイトハウスの対岸にある、ウクライナホテル。これもスターリン様式の建物のひとつ。現在は長期改装工事で休業中だが、今年中に再開予定。

アビーロード 2009/03/28

アビーロードに行って、世界で一番有名な横断歩道を見てきた。1987年に初めてロンドンに行ってから、もう20回近くロンドンに出張、旅行で行っているが、なんとなく行きそびれていたアビーロードだった。


小雨が降る中だったが、私が見ている間だけでも、4~5組の観光客が訪れていた。この写真の左端にいるのは、卒業旅行の女子大生風日本人4人組。通りかかったスペイン人カップルに頼んで、横断歩道上に4人で並んで、写真を撮ってもらっていた。


横断歩道のすぐそばの、アビーロードスタジオ。